映画レビュー!JOKER(ジョーカー)の感想と評価!ジョーカーの妄想と現実の違いを考察・解説してみました
2019年10月4日(金)に全国の映画館で公開はスタートしました!
予告が発表されてから話題となっていた『JOLER ジョーカー』
バッドマンの永遠のライバルとして有名な「ジョーカー」を主役にしており、どうしてアーサーという善良な一人の人間が悪に目覚めてしまうのか、悪党「ジョーカー」の誕生を映画化したものです。
この映画はベネチア国際映画祭で最高賞を受賞している一方で、
海外では「子供に悪影響が出る、子供に見せないで」と注意を促す映画館や、
暴動が起きないように警戒する為、警官や警備員が配置されるなど、特例の対応をしています。
これから言えることは、
現代社会の闇や問題を明確に描き出した絶賛に当たる映画であり
誰もがジョーカーになる可能性、映画の世界が現実化する可能性がある
という事です。
実際に、『ジョーカー』で描かれている事が起きている世界があります。ただの映画ではないのです。
貧困の差・差別・不満など、リアルにある社会の問題を感じている人は「アーサー(ジョーカー)」により感情移入をしやすいと思います。悪党である「アーサー(ジョーカー)」の感じる苦しみや悲しみ・不安な気持ちが分かり、悪に目覚めてしまう気持ちも分かってしまう不思議な感覚になってしまいます。
私は、この映画見て誰かがどこかで感じている現代社会への不安がストレートに描かれていて素晴らしいものだと思いました。今まで社会問題を題材にした物は多かったですが、悪党を主役にする事でより明確に・より深く・より現実的に表されています。
『JOKER』を見る価値はあると思います。誰もがジョーカーになりゆる事を理解することは必要であるが、真似はして欲しくなと思います。覚悟を持ってみる事をお勧めします。
今回は、JOKERの感想を交えながら映画内の妄想と現実の違いなどを考察していきます。
『JOKER』
主役は「アーサー」
ゴッサムシティでコメディアンを夢見て働く善良な男性です。アーサーは『どこでも構わず笑ってしまう』精神病がありカウンセリングや内服薬を服用する事で心の安定性を保っていました。
また、アーサーは母の介護しながらコメディアンを目指す為にピエロとしてイベントなどで働く派遣会社で必死で仕事をします。仕事を頑張っても報われることも無い。悪ガキに殴られお金を取られる。
社会に対する不安と同僚に騙されたことにより仕事もクビになってしまいます。
アーサーはいわゆる貧困層です。働いていた派遣会社でも貧困層の人たちが働いています。
貧困層の中にも差別や嫌がらせなどがあり生きている社会の狭さが描かれています。
クビになり意気消沈している「アーサー」の前に3人富裕層と思われるビジネスマンと女性があらわれます。3人の男性は女性に対して悪絡みをします。
それをみていた、アーサーは笑ってしまうのです。
アーサーは心の防衛反応として笑ってしまうのですが、バカにしていると感じてしまった3人はアーサーを攻撃しますが、その反論としてアーサーは拳銃を使って3人を殺してしまいます。
ここから「アーサー」が「ジョーカー」に変わっていくスイッチとなります。
アーサーはピエロの格好のまま犯行をしました。
富裕層であった3人の男性は「トーマス・ウェン」という次期『ゴッサムシティ』の市長となる男性の会社で働いていました。
トーマス・ウェンは3人の男性が殺された事で
「貧困に喘ぐ様な人はどうせピエロの仮面を被らない限り犯罪も犯せない」とコメントします。
自分より恵まれている人を妬んでいるだけだ。という意味で言っていると思います。
このコメント聞いた貧困層の人たちはピエロを貧困層のヒーローとしてデモの象徴になります。
もともと富裕層に不満があった貧困層はピエロの仮面を被りデモ活動が活発的になっていきます。
アーサーの気持ち
社会から見られもせず、見つけてももらえない。無視されている様だ。
- 自分自身の存在は何かという問題
- 社会問題
- 貧富の差・差別
- 母の介護
- コメディアンのセンスの無さ
がストレスとなり
無力なアーサーが怒りや悲しみを抑え続けた結果、自分自身を守るため
自己防衛の「どこでも笑ってしまう」症状が出てしまいます。
社会保障のカウンセリングを受けるアーサーですが、カウンセラーですら毎回聞くのは同じ質問、話は聞いていない。
社会から切り離されていると悩んでいました。
3人の男性を殺した事でピエロがデモの象徴となり『アーサー』が自分の存在意義を認められた、社会に知ってもらえたと思ってしまいます。
殺して悩むのかと思っていたアーサーは、逆に社会にピエロとして知り渡ったせいで『ピエロ』が自分の本当の姿だと勘違いてしまい「逆に清々しかった」と話しています。
アーサーの夢は『コメディアン』です。
生まれた頃から母しか居なかった「アーサー」は母を心から信じており頑張る事ができる支えでした。母はいつもアーサーに
「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」と教えられます。
その言葉を信念にみんなを笑わる『コメディアン』になりたいと思います。
コメディアンという夢が唯一の希望になっていきます!!
母とアーサー
毎日、母の介助をしています。
母は毎日、次期市長である「トーマス・ウェン」に今の状況を手紙に書いては送り返事を待つ毎日でした。
アーサーはある日母が「トーマス」に当てた手紙を呼んでしまいます。そこには、、、
『トーマスがアーサーの父である』と書かれており
母に本当の事が尋ねます。母のことを信じていたアーサーはトーマスが父であると思い、会いに来ます!
トーマスの家であったのは息子の『ブルース・ウェン』に会います。
また、アーサーは喜劇を見に来ていたトーマスに会いに行きます。会場の外では貧困層がデモを行ない中では富裕層が着飾りチャップリンを見ています。
貧富の差がモロに出た場面だと思います。
そこでトーマスに会ったアーサーは「自分の父である」ことを伝えますが
「お前の母は狂ってる」
「お前は養子縁組だ」
と追い帰されます。
母を信じていたアーサーは精神病院に行き母のことを調べます。
母も精神障害があり入院したいた事がわかりました。
- アーサーは虐待を受けていた(ネクレクト・虐待)
- 自己愛性人格障害
- 妄想
があり、トーマスに愛されたいという気持ちが強くアーサーを養子縁組し自分とトーマスの子供であると妄想し信じたという事です。
そこでアーサーは母の愛が嘘(愛の欠如)である事、子供の頃に受けたトラウマが精神症状として現れていた事が描かれています。
唯一信じてた人に裏切られました。
また、カウンセラーとの面談で『以前、病院に入院していたけどなんでかわかる?』とアーサーに尋ねます。アーサー知らないと答えますが、
私は、アーサーは幼い頃虐待を受けて入院していたと思います。自分自身を守るため虐待を受けていた記憶を消していた事がわかる場面だと思います。
妄想と真実
①母とアーサーには大好きなコメディアンTVがありました。『フランクリンのTVショー』です。
映画の中では母とTVを見ているシーンからいきなり、フランクリンのTVスタジオに客として参加していました。そこではフランクリンに面白いと目をつけられステージに上がりテレビに映るといた回想でした。
次の場面では母とTVを見ているシーンに変わるので妄想だとわかります。
アーサーはコメディアンとしてフランクリンのTVに出るの事も夢だったので妄想というより想像したのかなと思いました。
②ソフィー(ガールフレンド)
密かに思いを寄せていたソフィーの家に行き抱き合い・キスする事で始まる恋でした。
ソフィーは唯一の理解者としてアーサーのショーを見たりデートをします。アーサーの母が倒れた時にもソフィーは寄り添い側に付き添います。
闇を多いく抱えるアーサーにも良き理解者で心が許せる人がいて、良かったと思いました。
ですが、、
これは全てアーサーの妄想でした。
観客が妄想だと分かったのはアーサーがソフィーの家に行きTVを見ているシーンで…
アーサーが部屋にいる事が分かったソフィーは
「部屋を間違っているわ。お願いだから出て行ってほしい」と他人に頼むようにお願いします。
そこで今までのソフィーはアーサーが作り出した妄想上の人物でありアーサーには妄想癖がある事がわかりました。
この時点で私は今での出来事(人を殺した事・コメディアンとして劇場のショーに出た事)全てが妄想であるのでは無いかと…いう考えにさせられ
この映画の内容が真実であるか妄想であるのか判断する事が難しかったです。
④フランクリンTVショーへに出演
面白く無いジョークと笑い続けるアーサーのショーをみたフランクリンはTVでアーサーを『ジョーカー』といじりバカにします。
ですが多くの人から反響がありアーサーのTV出演が決まります。
アーサーは緑の髪に染め、ピエロの化粧をして出演します。
TVでは殺人したことや社会への問題・差別・格差・不安をストレートに話します。
そして唯一の希望であった「コメディアン」をバカにしたフランクリンを射殺する事でオチを作りみんなを笑わせようとした。
この話は本当だと思います。
③殺人
映画では
- 3人のビジネスマン
- 母
- 同僚
- フランクリン
4件の殺害があっています。
この4件は真実であり、フランクリンを殺した時点で逮捕されます
④逮捕後、逃亡し、デモ集団の象徴となる
私の考えてですが、ここは妄想であると思います。
デモ隊員に象徴として掲げられた後、場面が変わり精神病等でカウンセリングを受けているシーンになります!
ここで妄想である事がわかりますが、デモの象徴として崇められ他の貧困層の人々により反乱が起きていたのは本当だと思います。
絶賛され讃えられる前に警察によって病院へ送られたと考えています。
カウンセリング
JOKENの話には何度かカウンセラーと面談(カウンセリング)を受けている場面がありました。
カウンセリングは映画の中で3回でてきます。
1回目は社会保障を利用して使うことができるカウンセリングを行なっていました。
カウンセリング中鳴り響く電話の音や雰囲気は気持ちわるさを感じさせながらもアーサーが社会から阻害されている人物。可哀想と印象つけられます。
2回目のカウンセリングはまた社会保障を利用して受ける事が出来るものでした!
市は、貧困層の人々にお金を出す余裕もないと、アーサーが通うカウンセリングの閉鎖を余儀なくされます。アーサーの精神を安定させていた薬ももらえなくなります。徐々に精神の安定性が無くなってきます。
カウンセリングでは
『以前あなたがどうして病院に監禁されているか覚えてる?』と尋ねられます。
アーサーは知らない。あそこに入る人はどういう事をした人なんだ?と
病院には行ったこともない、本当に知らないと思っています。
3回目のカウンセリングはフランクリン殺害後にされるものです。
逮捕後であり真っ白い壁の部屋で、カウンセラーと2人っきりで話していますが、、
アーサーはいきなり笑いだし
「ジョークを思いついた。君には理解出来ないだろう」
と一言残てカウンセリング室を出ます。
考えた考察
- 3回目のカウンセリングシーンは以前のもの。2回目のカウンセリングでアーサーが精神病棟に入院していた事が分かります。3回目のカウンセリングで思いついたジョークが『ピエロという喜劇(ヒーロー)が貧困層(悲劇)にジョークを言う』と言うもので、ピエロの顔は偽物であり本当にピエロをやっている時は社会に虐げられて悲劇であったが、ジョーカーとしてマスクをつける事ヒーローになり喜劇(ピエロ)に変わる。ジョークとして殺害するのと言う事が富裕層である人には理解できないと言う意味では無いでしょ言うか?
- 3回目のカウンセリングはクランクリンの殺害後。初めて精神病棟に入院した時の記憶は母の虐待によって防衛反応としてでた『妄想』等のせいで記憶を消してしまっているのでは無いかと考えます。3回目のカウンセリングでのジョークは、富裕層である人を殺害する事で誰かを喜劇から惨劇の人生へ引きずろうとしているのでは無いでしょうか?誰だってジョーカー(悪)になるということです。
色々、考察を考えましたが…アーサーはコメディアンを「どんな時でも笑顔で人々を楽しませたい」と言う気持ちで目指していた事。殺害した事で人々はピエロを反乱の象徴として讃えた。それを見ていたアーサーは自分に注目されたと勘違いし最高のコメディアンになったと思ってしまうのかなと思いました。
また、このジョーカーの姿は周りの人々が作り上げた者で「誰もがアーサーのようになる可能性がある」とい事です。
これだけ頑張っても誰かも見てもらえない。報われない現状が続けば、頭が可笑しくなっもいいかな??いや、可笑しくなりますよね。
この映画にっはもう一つの話が隠されており
「ジョーカーの誕生」とともに
「バッドマンの誕生」が描かれています!
議員の『トーマス・ウェン』の子供は「ブルース・ウェン」でありバッドマンの本名です。
バッドマンの両親は強盗に殺されたと言っていますが、映画の最後もシーンでブルース以外の家族は強盗によって殺されました。
『ジョーカーが生まれなければ、バッドマンも生まれなかった』
私はこの映画にいろんなメッセージがあると思いますが、社会問題をストレートに言葉にしており誰でも共感でき、同情してしまう内容でした。
本当にいい映画でオススメでしが、この映画を見るのは覚悟がいると思います。
社会に希望を持ってる人は見ても大丈夫だとおもいます、
笑いと怒り・悲しみなどのギャップがすごく
- アーサーの心がいっぱい・いっぱいの時の笑い声
- 幸せなストーリーのなかでの悲しい音楽
- 大切な人との幸せと大切な人の殺害
何と言っても音楽!!!!!!!
音楽が作り上げる世界観と『ホアキン・フェニックス』が作り上げる人間味がいいです。
笑い声や表情・体のラインから観れるジョーカーへの道が、徐々にかっこよく見えてしまいますしサーサーの幸せを願ってしまいます。
悪と分かっているの応援してしまう、変な感情になります。
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